飾筥 紅白梅 W12.5cm D12.5cm H15.0cm
飾筥 紅白梅 W12.5cm D12.5cm H15.0cm
藤田 喬平Fujita Kyouhei
藤田喬平は1921年、東京都新宿区百人町に生まれます。幼い頃から芸術家に憧れてきた藤田は、東京美術学校(現東京藝術大学)工芸科彫金部に入学します。後に彼の重要なモチーフとなる琳派への憧れを始め、多くの芸術的素養をこの時期に養いましたが、
その中でも彼の運命を決定づける出会いが訪れます。訪れた正倉院展に展示されていた、ササン朝ペルシアのガラスでした。 千年の昔に作られたとは信じられないほどの輝きに魅了された藤田は、ガラス工芸家として生きることを決意します。
卒業後の1947年、岩田硝子製作所(現岩田ガラス工芸)に入社。創立者の岩田藤七はガラス工芸の発展に貢献した第一人者で、藤田はそこでガラス工芸の基礎を学びながら職人として製作にあたりました。しかし職人よりも作家としての活動を望む藤田は、1年半で退社、独立。工場勤めが当然のガラス工芸に於いて、炉を借りながら個人の作家として独立し、独創の元に制作を行う藤田のスタイルは全く新しいもので、後進へ道を示すことにもなりました。しかし戦後復興の只中にあった社会においては自由な創作活動は難しく、日常製品を作ってそれを売り、次の創作費用に充てていく生活を送ります。
その後はグループ展を経て、百貨店を中心とした数多くの個展を開催し、ガラス作家としての名声を確かなものへとしていきました。1964年には独自の技法“流動ガラス”を使用して制作されたオブジェ「虹彩」を発表。流動するガラスが冷えて固まる一瞬を留めることに成功したこの大作は、藤田が初めて心の底から自信を持つことが出来た作品と言われています。そして1973年には代表作となる「飾筥・菖蒲」が第13回個展にて披露されます。琳派への憧憬を繊細優美な絵や色彩、金箔やプラチナ箔などの豪華な装飾によって表した色ガラスの箱は、琳派という日本芸術における一つの到達点を引き継ぎ、ガラスという世界中にある素材で表現した作品として、世界中に「RIMPA」の名とともに絶賛を受けて迎えられます。
1977年からはイタリア・ヴェニス、ムラーノ島の工房に渡りました。ヴェネチアン・グラスの職人たちに囲まれた刺激的な出会いによって、藤田の感性は強く揺さぶられます。伝統的ガラス装飾技法「カンナ」を用いつつ、その独創によって形状や文様を独自に編み出します。こうしてイタリアの地でも、ヴェニス花瓶の大作を始めとする数々の傑作を生み出したフジタは、その後もヴェネチアの地と日本を行き来しその技法を磨き続け、生涯をガラス作家として過ごしました。