青磁輪花大皿 W38.6cm D38.6cm H7.4cm
青磁輪花大皿 W38.6cm D38.6cm H7.4cm
川瀬 忍Kawase Shinobu
神奈川県大磯町に生を受けた川瀬忍。家は三代にわたって焼き物を生業としており、幼い頃から祖父・父に手ほどきを受けていたと言います。18歳で本格的な修行を始めてからはろくろ挽きを徹底的に教え込まれ、寸法・形を狂いなく合わせる技術を身につけました。作るもののほとんどが薄手の染付や赤絵の品だったため、この頃の影響から「薄手好き」になったのではないかと、後年自ら振り返っています。しかし家業としての本業とも言える絵付には携わらせてもらえず、自分の作品を作ることも許されませんでした。
川瀬の運命である青磁との出会いは、偶然のきっかけから生まれました。ある日焼成を終えた染付の器の一部分が青くなっていることに気付き、釉薬を濃く塗れば青磁が出来ることに思い至りました。その「青」に魅せられた川瀬は、それからというもの窯の端に意識的に厚く釉薬を掛けた自作の陶器を、こっそりと紛れ込ませるようになりました。青磁に向けられた孫の情熱に気付いた祖父は、所持していた龍泉窯青磁の袴腰香炉を川瀬に与え、それを習うよう言い渡します。かくして川瀬は青磁の世界へ入り込むこととなったのです。袴腰香炉や中国の青磁を真似て作った色見を窯に入れ、焼きあがりを同じ光線の下で古典の名作たちと見比べるため、それをポケットに入れて博物館へ通いました。何度も焼き直しては、一歩ずつ目的のものへと近づける、終わりのない探求の日々がこの時から始まりました。
やがて自分の求める理想の形が、中国の古典、それも「汝菅窯」と呼ばれる北宋後期の青磁の中にあることを発見します。青磁のイメージを覆す、温かみや柔らかさ、そして不思議と豊かな可塑性を感じさせる、繊細且つ優美な汝菅窯に近づきたい。そう考えますます習作に励むも、同時代に生きる訳ではない自分が汝菅窯の模倣を続けたとしても古典の名作には及ばないと悟った川瀬は、宋代以前の美術品を遡って見ていきました。古代の人々が追い求めた美のかたちを知ろうとした末に辿り着いた答えは、自然の美から触発を受け、自己の内面に潜む美のかたちを引き出すということでした。
以来川瀬は、庭に咲いたカラーの花やテレビで見た淡水エイ、ラップランドのオーロラなどの自然の美をその目で観察し、自身の表現方法である作陶の技法と合わせることで、全く独創的な美のかたちを生み出し続けてきました。それらは時として「舐めてみたくなる」と評されるような瑞々しさを湛える作品群へと昇華され、同時に大きな賞賛を持って迎えられてきました。絶え間ない鍛錬の積み重ねと、知性に裏打ちされた審美眼とが、彼を唯一無二の存在へ押し上げたのです。