染付赤絵銀彩長方皿 W60.8cm D36.2cm H4.4cm
染付赤絵銀彩長方皿 W60.8cm D36.2cm H4.4cm
近藤 高弘Kondo Takahiro
1958年、京焼の磁器染付を生業とする陶芸の家に近藤高弘は生まれました。祖父は巨匠・富本憲吉の弟子で、磁器染付の最高峰とされた人間国宝・近藤悠三。次男である父・濶も近い仕事をしていましたが、近藤家は世襲制を採っておらず、高弘も家業を継げとも言われずに自由にのびのびと育てられたと言います。卓球に打ち込み、高校の時には日本チャンピオンとなり、それからは国際大会の舞台で日本代表選手として活躍していました。
1982年に法政大学を卒業後、卓球を続けるために協和発酵に入社します。しかし高弘25歳の時に、伯父・豊が制作上の悩みを苦にして自死したとの報せが入りました。豊は京都市立芸術大学の教授兼陶芸家として、雄三や潤とは趣の異なる前衛的な作品を作っており、既に国際的な名声をも得つつありました。家族たちが進む道が命を懸けるに値するものと気づき、衝撃を受けた高弘は、自らもその道を進むことを決意。京都へ帰郷し、京都府立陶工訓練校、京都市立工業試験場で基本的な技法や窯、土について学びつつ、父に伝統の染付の手ほどきを受け、実用的な焼物を作りながら、次第に自身の作品を発表していきました。
やがて頭角を現し、1990年にはブラジル・サンパウロで初個展を開催することになります。すると当地の他の芸術家たちから、なぜブルーの絵の伝統的な器しか作らないのかと口々に尋ねられます。更に滞在中に訪れた現代アート展でも、技法や使う素材に捉われず、思い思いに自らを表現する自由な気質の作品に触れ、独創性について深く考えさせられることとなりました。コンセプトやオリジナリティーに重きを置く、モダニズムの洗礼でした。
実験と試行錯誤を繰り返し、自分の作り出す作品が21世紀においてかくあるべきかを自問し続けます。そこでたどり着いたのが「二項対立の統合」というコンセプトを初めて表した「時空壺」でした。ろくろから離れ、京都の新旧・美醜の相反するイメージの統合を目指したこの作品は、1994年、京都の建都1200年の年に発表され、以後高弘の代表作と呼ばれるようになります。更には「火の中から生まれ出る水」という二項対立を表現するために、金や銀、プラチナを陶に合わせた独自の技法「銀滴彩」を編み出し、造形や彩色にとどまらない質感を表すことに成功します。高弘の手によって、現代陶芸は海外での認知を高めました。
2002年には土以外の表現方法を模索するためにスコットランドのエジンバラ国立芸術大学に渡り、様々な素材について修めました。そこではガラスと陶を組み合わせ、水と土の二項対立を以て命の循環を表現した「零度」などを発表します。自らの出自を自覚した上で、誰もやっていないことを進めていけば、自分の世界が見えてくる。その繰り返しを経て、高弘は陶の世界の先に、自らの絶対的な独創を築き上げたのです。